「法爾(ほうに)の道理という事あり。炎は空にのぼり、水は、下りさまにながる。
菓子の中に、すき物あり、あまき物あり。これらは、みな法爾(ほうに)の道理なり」 ~ 法 然『和語燈録』より
【現代語訳】「法爾(ほうに)の道理ということがあります。炎は空に昇り、水は低いほうへ流れる。
果物(くだもの=「菓子」)の中には、酸っぱいものもあれば、甘いものもあります。これらはみな、あるがまま(法爾)の道理によるのです」 ~法然上人
日本人の宗教心をもし一言で表すとすれば、「自然法爾(じねん・ほうに)」または「法爾自然(ほうに・じねん)」
という言葉が浮かびます。人間の我執やはからいの及ばない、事物あるがままの姿を指します。
「救いは自然(じねん)に与えられていることで、罪を犯ささずるを得ない私たち悪人でも仏の救いにあずからないものはない」という確信のもと、いつでもどこでもだれでもができる「念仏」という仏の御名(みな)を称える行(ぎょう)ー南無阿弥陀仏ーを勧め、平安時代の末期、浄土宗を開かれたのが法然上人です。 そのお名前はまさしく「法爾自然」から二文字をとって師匠の叡空上人より授けられました。
この井草幼稚園の源流となる母体は、福島県いわき市にある如来寺という奥州で初めての浄土宗の寺院で、浄土宗名越派(なごえ・は)の最初の本山として、多くの学僧を輩出しました。
当園の掲げる「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」(しょうしきしょうこう・おうしきおうこう・しゃくしきしゃっこう・びゃくしきびゃっこう)の文言は、その浄土教が拠り所とするお経のひとつ「阿弥陀経」に出てきます。青い色は青い光を放ち、黄色は黄色い光を放ち、赤い色は赤い光を放ち、白い色は白い光を放つ… この言葉は、決して何か固有の教育方針やモットーではなく、そうなるべきようになっているという、人と物の存在の有りよう=道理を示しています。
教育はその存在の有りようを恣意的に操作誘導することではなく、自らが、自らを含む存在と世界の神秘に心を向けていく営みにあるのだと祖師の教えに思わされます。
ぜひどうぞお参りにお越しください。 合掌
《 如来寺・情報サイト 》