登録有形文化財とは、重要文化財指定とは異なり、物件の活用を促進しながら、文化的価値をそままに保存を図る制度で、創立以来多くの卒業生、先生方、関係者各位の、思い出の残る貴重な園舎をいつまでも残して欲しいという声を大きな支えに、大規模な耐震強化工事を経て、2017年10月、《 国土の歴史的景観に寄与している建築 》として、国の登録有形文化財として登録されました。
東京都内にある幼稚園園舎としては、お茶の水大付属幼稚園園舎に次いで2番目、都内・私立幼稚園としては初の国登録有形文化財となります。
新築の保育施設や学校が増える中、学び舎を後世に伝えていこうという志(こころざし)ある取り組みは全国でも決して珍しくはありません。歴史ある神社仏閣が、幾度もの修復を経ながら今日にその姿をとどめているのと同様に、井草幼稚園も、古い建築が廃れた姿ではないことを示すためにメンテナンスを重ねながら、建物も園児たちと共に大切な時を過ごしてきました。
文化財登録にあたっては、園舎建築に関する資料が多く保存されていことにも大きな評価を得ています。
文化財保護法により、原則築50年以上のもののうち、
①国土の歴史的景観に寄与しているもの
②造形の規範となっているもの
③再現することが容易でないもの
のいずれかの基準を満たすことが条件。
同文化財の著名なものとしては、東京タワー、旧・歌舞伎座、京都南座、大阪城、太陽の塔(岡本太郎)、東大安田講堂、東京女子大、学習院等の大学の講義棟などが挙げられるが、民家や店舗、蔵、井戸、煙突、駅舎、トンネル、記念碑など公共・私有、用途、規模の大小に関係なく文化財的価値のあるものを対象とする。
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【これまでの歩み】
大正12(1923)年9月1日、死者10万5千人に及んだ関東大震災では、多くの震災孤児を生みました。
孤児の保護教育のため浄土宗が震災の翌年に立ち上げた小石川学園の設立にかかわり、その主幹となった鈴木積善(しゃくぜん)はその後、小石川・傳通院(でんづういん)の仏教センターである伝通会館の初代主事を経て、昭和8年、多くの方々の支援によって井草幼稚園を創立しました。
創立者・鈴木積善(しゃくぜん)初代園長
太線で囲んだ部分が文化財登録範囲
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園舎の設計は孤児のための小石川学園を設計した宮内省(現・宮内庁)内匠寮(たくみりょう)技官・森 久吉によるものです。 森は設計のみならず、古くから鈴木と日曜学校、伝通会館等での青少年への仏教伝道活動を共にしていた盟友ともいえる間柄でした。
創立者・鈴木は当園創立の翌年に早逝しましたが、森はその後も現在の園舎すべての設計にたずさわり、毎年の卒業式のほか、園児に紙芝居やお話を聞かせに園を訪れました。
園舎設計・森 久吉(ひさきち)先生 昭和51(1976)年 当園卒業式にて
昭和56(1981)年卒業式での森久吉先生… 森先生の卒業園児への祝辞は毎年決まって、ホールに掲げてある増上寺台下からの扁額「明るく 正しく なかよく 仏法僧」を園児と共に何度も復唱するシンプルなもので、その祝辞のやり方は現在でも園長に引き継がれている。
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2007年1月、杉並区の都市整備部まちづくり推進課による「杉並の面影を伝える建物」に関する調査で、委託を受けた「杉並たてもの応援団」(※注)の2名の専門家が園舎の調査に来園。
そのとき初めて「登録有形文化財」への申請を薦められ、また同応援団は、当園舎を区の建物保存推薦リストに挙げました。
【※注】「杉並たてもの応援団」……建築・設計や都市計画の専門家からなる団体で、本業の合間をぬって、杉並の歴史的建造物の調査・記録・紹介・保存のサポートにあたっている。
昭和30(1955)年/現在の南側園舎はまだない
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その後、南側園舎屋根工事、東日本大震災、南園舎基礎強化工事、創立80周年記念と大きなことが続き、
申請計画は塩漬けのままでしたが、2015年から具体的に建物調査、創設時の図面復元など計画が動き出し、昨年 (2016) 12月、最終段階となる文化庁の現地視察が行われました。
建物調査と資料作成、区との折衝に当たられたのは、建築士の川崎、原嶋の両先生。
川崎先生による建物調査所見のご紹介は他日に譲りますが、両先生による園舎屋根裏調査によって
有力な史料となる棟札が、ホールの屋根下から発見されました。
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文化庁による視察 2016年12月9日
昭和8 (1933)年 創立時の設計図面
2016年2月15日
屋根裏調査へ!/ 手前・原嶋先生/天井の足・川崎先生
発見された棟札… 左・表面/ 右・裏面
揮毫は小石川・伝通院第71世貫主 木村玄俊(徹誉)上人
文化財プレート除幕の大役を果たすのは、ご祖父様が第15回卒業生、お父様が第50回卒業という三代目の姉妹。お姉ちゃんは第82回卒業(当時・小学2年生)、妹さんは第84回卒業(当時・年長組在園中)。緊張が伝わってきます。 みんなでカウントダウンし、序幕と同時にクラッカーが鳴ります。
樽酒の鏡割り~文化財申請に尽力された建築士の先生方と
第8回卒業生の先輩(元・学法理事)による音頭で乾杯(大人は升酒、子どもはジュース)
翌月の6月23日、お披露目した銅板プレートが園門のレンガに嵌め込まれます。工事は園舎強化保存の功労者でもある滝沢棟梁。
屋根瓦を、超軽量な銅板本葺き瓦へと全面葺き替え工事。浅草・浅草寺の屋根が世界初のチタン瓦で葺き替えられ話題になりましたが、寺社屋根専門の同施工会社が浅草寺を手がける前に施工した金属耐震瓦です。
当園南側の別棟園舎は、昭和35年に当時のご父兄だった井草幼稚園後援会(現・母の会)会長・川上すみ子様が 主に学園債を募り、増築されたものです。
平成20年夏いっぱいをかけて、屋根を90度逆向きにする工事を中心に改修を行いました。
部屋の構造・面積は創建時のままですが、天井が高くなり全体的に視野が広がりました。
左にみえるのが改修前の旧園舎
工事前の旧園舎
屋根も天井もすっかり取り払われた状態です。いま雨に見舞われたら大変です。
クレーン車が園庭に入りものものしい雰囲気
屋根が組み上がっていきます。
屋根は浅草寺チタン屋根瓦施工と同じ寺社専門業により、軽量銅板瓦で葺いていきます。炎天火の暑さと、目玉焼きができる熱さの上で作業が続きます。
ロフトスペースが出来ていきます。
水車が設置され、廊下が張り替えられます。
アスレティックも足場に使いながら壁面漆喰の工事
9月3日の始業式、完成お披露目式です。棟梁の滝沢さん(右)とステンドグラスを制作した旭屋硝子店の田中さん(左)へ感謝の花束。